店主日記2009

12月29日(火)
小学校時代、ちょっと道草をして三ツ沢墓地を見下ろす尾根道を行くと当時ホエールズのエースだった平松政次の家があった。呼び鈴を押し、出てくる奥様に帽子を託すと、翌日にはツバに誇らしげに‘27’という数字と共に平松のサインが書かれたマリンブルーの帽子が返ってきたものだ。ちょっとマニアックなヤツは、やはり近所に住んでいた五月女豊のサインを貰っていたが。その平松の家は、私の母校三ツ沢小学校が借りていた菜園の真ん前にあった。20数年ぶりに三ツ沢を訪れた私は通学路や道草路を何時間も飽きることなく散歩したのだが、どうしてもその菜園が見つからない。結局その元平松の家をたよりに菜園の場所を特定できたものの、現在は神奈川スポーツ・センターとなっていた。あのおいしかったさつま芋の味が永遠に失われたことはちょっと残念な気もしたが、いつももくもく水蒸気が上がっていたクリーニング屋、ちょっと知恵遅れの女の子がいた元名主であろうYさんの大邸宅、縄文土器の破片を拾い集めた畑など多くがまだそのままで、横丁から悪友が飛び出してきそうな気さえした。ひとつ変わったのは、広く感じていた道が狭く、長く感じていた距離が短く感じられたこと。毎日片道30分、約2キロの道のりは、今振り返るとワイワイと過ごすなによりも楽しい時間だった。
12月26日(土)
相変わらずの航空会社への文句なのだが、一旅程で4回搭乗したうち1回分だけマイレージに登録されていなかった。1回だけ乗らずに往復できるわけがない。‘ちゃんと乗ったからプラスしてね’とデルタ(になってしまった元ノースウェスト)に電話したら、‘チケット購入先代理店からE-TICKETの控えを取り寄せて、搭乗分のチケット半券を添えて郵送しろ’の一点張り。代理店に電話して尋ねたら、‘手数料\2100かかりますが’と。ここで考える。本来全く払う必要のない\2100を払ってまでそのマイレージを獲得する意義はあるのか。デルタの態度としては‘とにかく書類揃えてくれたらちゃんと追加してやっからよ’ということ。重ねて言うが、客である私には何も不備はない。現に搭乗した証拠である半券は手元にある。それなのになんのために必要なのか私にはさっぱり分からない書類をさらに用意せよという。電話してやりとりするだけでも面倒なのに、郵送の手間、郵送費、そして\2100までも負担せねばならないのか。サービスがどーだこーだと各社競っているようだが(近年どこもかなりグレード下がっている)、マイレージなんて所詮は面倒くさくてやりたくないということが顕著に現れている例だろう。しかし今年の私のモットーは‘にこやかに前進的に’なので(毎年あるのか?)、私が\2100を負担すれば皆イヤな思いをせず丸く収まると考える。とりあえず溜まった鬱憤はここに散々書いたので(デルタ最悪・デルタ最悪・デルタ最悪)、明日からはまたニコニコ過ごすことにする。

イギリス真夏の海辺。水が冷たいのでとても泳げず、みな浜辺をブラブラ。
12月21日(月)
近年の日本ではWINGS(と言うかPAUL McCARTNEYと言うか迷うところだが)の「Wonderful Christmastime」やWIZZARD(と言うかROY WOODと‘略’)の「I Wish It Could Be Christmas Everyday」もそこそこ定番化してきたし、今年に限ってはJACKSON FIVEのクリスマス・ソングもよく聴く。そこで提案したい。やっぱりKINKSでしょ。プロモーション・フィルムもYOUTUBEで見てみてね。
 サンタさんが街のワルガキどもに苛められるお話。
12月19日(土)
前回訪れたのが91年1月の成人式のときだったから、ほぼ19年ぶりに横浜アリーナを訪れた。入場料無料の室内フリー・マーケットだ。考えてみれば日本でこういう形のマーケットに顔を出すのは初めて。入場前には結構長い列が出来ていて、何を探すともない私だったが何となくそわそわしだした。さぁようやく入場だ!、とアンティークの一角を目指すが、あれれ。ガラガラじゃん。賑わっていたのは衣類とか日用品とかの出店者ばかり。それにアンティークで出品されていたもの皆クオリティーが高い。もちろんレコードを探したが、数枚見たシングルでもブラザーズ・フォーどまり。まぁ期待はしていませんでしたがね。

テニスくらいならできると思えるこのガラガラ・スペース。


横アリ20周年記念のイベントだったので、今日までのイベントの数々のポスター等が展示されていた。ジョージも格闘技やら寒流スターのポスターに囲まれてしまっていた…。エリック・クラプトンのサイン入りギターに見入っていたのは私一人だった。
song by LINDA KENDRICK 「Grey Sunny Day」 1968 PHILIPS BF 1660
12月12日(土)
今週はずっと2時に就寝6時起きという生活だったので珍しく疲れた。そんな中、楽しかったのは念願のSEGWAY乗車。なにせ買ったら\1,000,000、いつか原チャリからランク・アップ(?)してやろうと目論んでいた乗り物。これがじつに愉快。前に体重をかければ前に進み、右にかければ右にクルリと回る。乗車自体がちょっと最初は難しいのだが、乗ってしまえば転びようが無い。電動なので音はしないし、その電気代も40q走って\100ほどだという。坂の多い横浜で一家に一台なんてことになったら、市民の行動はずいぶん変わると思う。

日本では公道での走行は許可されていないので、今度海外でレンタSEGWAYを楽しもうと思う。
12月5日(土)
新聞広告やらなにやら、1年でもっとも宣伝広告を目にする時期だ。昨日も折り込みチラシの束に目を通したが、まったく欲しいものが無い。物質的にはもうほぼすべて満ち足りていると思う(当然丸くて黒いものは除く)。物欲も、金銭的に、精神的に余裕のある人のみに許された娯楽だろう。昔にも書いたことがあるが、あえて挙げればスヌーカー・テーブルが欲しいかなぁ。サンタさんにお願いすることが許されるなら、それを置くスペースも下さいな。

‘これ使ってくれ’と、レコ掘り時に用意されたのがこのプレーヤー。いい音したよ。
11月30日(月)
気がつけば10年目に入ったHV。考えてみればいいことばかりだった。
 こんな名前のボートに出会えば写真を撮らざるを得ないだろう。
11月27日(金)
先日、今は会計士をしている学生時代のバンド仲間と会った際HVは苦戦していると伝えたところ、‘やっぱりそうか’と。彼の取り引き先も軒並み今年に入ってから業績が悪くなっているらしい。そういう話だと普通は落ち込むところだろうが、並の企業人ではない私は元気づく。企業年金とかボーナスとか、もう一生かかわることの無い言葉を聞くにつれグッタリとするところだが、そういうときはこういうサイトを見て活力(というか我慢力)をつけるようにしている。
11月25日(水)
ある同年代の方と会話中、いきなり‘相鉄線は好きですか’と尋ねられ面食らった。確かに話題は相鉄沿線のことだったのでまったくの的外れではないのだが、ついデビュー当時のパフィーがいきなり井上陽水に‘アジアは好きですか’ときかれてビックリした、という話を思い出したりもした(そして出来たのがあの曲)。で、驚いたのはその同年代の方が相鉄の社員だったこと。その方は、彼が相鉄社員であることを私が当然知っていると思っていたそうだが、私はとんと知らなかった。‘好きですよ’という返答をしておいてよかった(30代の男二人の会話としては字面だけ見ていると気持ち悪いが)。
11月21日(土)
すごいのなんの。CDのほうにばっかり注目が行っちゃってあんまり話題を聞かないけれど、‘THE BEATLES : ROCK BAND’。そう、ゲーム。曲前の会話、カウント入りとかフェイドアウト無しで完全演奏とかそんなのばっかり。「Hey Bulldog」、「Dear Prudence」とか挙げればキリが無い。でも笑っちゃうのが各曲が‘勝手にプロモーション・フィルム’になっていること。「While My Guitar Gently Weeps」なんて本来は‘フェイドアウトしねーよ!’ってところに感激するべきなのに、ジョージが3人を従えて草原を歩く(製作が楽だからかそういうシチュエーションが多い)、という場面に喜んだりして。おそらく出るであろう(出てるという話も…)‘ROCK BAND’ブートCDは重宝するに違いない。
11月15日(日)
そろそろ夏も終わったと感じられるので(今頃かよ)、7月12日の日記の続き。結論から言うと、あのクール・ジェル入り寝具はかなり具合よかった。蒸れ熱い敷布団に横たわるのに比べ、ひんやりクールなのは事実。横になってから15分以内には必ず寝入る私にとっては、かなりの有用性だったと認識した。来年からも重宝しそうだ。
11月14日(土)
どんな分野のことであれマニアのこだわりの話を聞くのは面白い。先日ラジオでゲンゴロウなどの水中生物マニアの薀蓄をきいたのだがこれが笑えた。医師が本業とは思えぬ彼の話は学者顔負けで、‘シャープゲンゴロウモドキ’が絶滅危惧種で、‘シャープ’というのはその種を発見したイギリスの学者の名前で、千葉の田んぼで何十年かぶりに生息が発見されたらそれがマニアに知れて乱獲されて、云々。私が笑ったのは、自分に向けられた笑い。その分野に興味が無い人にとっては本当にどうでもいいことを滔々と語る、ということの無意味さよ。私も彼くらいの教養と落ち着きを持って、私なりのマニア道を語る機会を持ちたいものだ。
11月7日(土)
店頭では散々‘ビートルズのリマスターCDは買わないことにしましたよ〜’なんて言っておきながら、これを見て激しく心を揺さぶられた。私は‘限定’とか‘コレクター仕様’とかそういうのに弱いらしいな、中身より。もちろん‘購入を見送る’という結論を出したからこそ、今日ここで紹介などしているわけで(ケチ!)。5日に全世界に発表されてから意外と好評なようで、現にアメリカでは売り切れている。今ならイギリスのサイトから買うのが一番安いですよ。
11月4日(水)
東京電力のような大きな組織ではこういうことはよく起こるのだろう。今日、事前に散々確認したこと(電話2回で3人に確認)の手続きのため東口のファースト・タワーに出向いたのだが、‘あの書類が’‘事前の申請が’等々まったく電話で言われていなかったことの‘不備’のため手続きを済ますことが出来なかった。それも最悪なのは、事前に電話で‘これは近隣の事務所やインターネットで手続きできないのですか’と念を押して尋ねたら‘横浜駅西口か大和の窓口まで出向いてください’と言われたのに、今日出向いてみれば‘ファクスかインターネットでできますから’とのこと。まぁ普通(よりちょっとフリークな人)なら一キレするかもしれない事態だが、あくまで前進的な私は‘じゃあまた頼むね’とニコやかにその場を離れた。
10月31日(土)
‘本切’ネタ連投で恐縮だが、先日初めて自分の本を処分した。本を、というよりCDもレコードも今まで自分が入手したものは1枚たりとも手放したことがない私の大決断だ。それもダンボールいっぱい。アツという間に査定は済み、現金\1960を入手した(ナイス金額でしょ)。価値とか人気とか在庫のダブりとか一切関係なし。状態のみを見て金額が決まるそのシステムは非常に清々しい。さらに気分がよかったのは、すべてが貰い物か拾い物。まるまる\1960を入手、HVやるよりずっと効率がよい(←ここ衝撃の告白)。自分のブツを手放すようになるのも近い、と恐々としている。
10月17日(土)
昨日‘本切’で初めてリマスター版のビートルズのCDを見た。近頃街を出歩くことが年2回くらいしかないので、ビートルズのリマスターCDの話は店頭でお客様方からうかがうばかり。誰かのブログで‘3面見開きの入手は諦めた’とか書いてあったけれど、昨日はそのCDがズラッと千いくらで並んでいた。積極的購入は見送ることにしているので(消極的購入ってなんだよ)、見ただけだったが。
10月11日(日)
もよりの区役所へ参院選の不在者投票に行ってきた。週末ゆえ通常業務は行われていないので、裏口から守衛さんにあいさつしつつ矢印に導かれながら暗くガランとした庁舎を3階まで上り、唯一明かりの点いた部屋へ入るとグワッ!その窓の無い小部屋になんと11人もいるじゃないか!(思わず数えた) そして投票者は我ただ1人。近年急速に拡充されてきた不在者投票とか時間延長とかやらは、かなりの経費がかかっていることを実感した。それでも投票率が前回みたいに33%とかだったら、はっきり言ってそこまでやる必要はあるのかしら。帰りに出口で待ち構えていた‘NHKの出口調査ですが〜’の2人も出ずっぱりなのだろうか。いくつサンプルが集まったのやら。とりあえず‘ひみつ〜’とケムに巻いておいた。
10月8日(木)
2004年の10月9日は伝説の‘南幸水没日’。その5年後の今日、同じ風景を再現かと思われたが、1Fの店主達は胸をなでおろしたに違いない。その5年前の9日は米買い付け中だった私はプールと化したHV界隈を見逃しているので、ちょっと楽しみに(!)午前中に駆けつけた。歩き回ってみれば各所に土嚢、防潮版が使用されていたのを見られたし、帷子川はひどく茶色に濁っていて嵐の暴れ具合はじゅうぶんに分かった。その後片付け、掃除にてんてこ舞いの多くの人に向かって心で‘ごーくろーさーん!’と叫びつつ、2Fに店舗を構えられたことを照りつけるお天道様に感謝した。
10月3日(土)
1週間に1度しかこの日記を書かないとなると(記じゃないね)、書きたいネタもたくさんある(9月も‘大当たり’だったとか、中田氏やり逃げについてとか)。ただ最近はそういうネタ、というか日々感じることを吐露する前に時間を空けることにしている。ひとりで飲み込んでいる状態なのだが、そうこうしているうちに怒りとか不安とかも薄らいでゆくので意外と気に入っている方法だ。しかしこれについてはしつこく書いておきたい。9月25日のウワサのJ-WAVEのエアチェック(死後)・テープを持ってきたので、興味のある方にはお貸しします。どうぞお気軽に。
 レコード・フェアの入場半券が財布の奥から出てきた。
9月26日(土)
オンエアの時間に合わせた新品のカセット・テープを準備して、くるくると録音のために頭出しをして、時報と同時に録音スイッチを押す。そんな20年ぶりくらいのエアチェック(死後)をするくらい気合を入れて臨んだ昨夜10時からのJ-WAVE‘ACROSS THE BEATLES’。詳細は省くがクソつまらなかった。喧伝されていた様々な目玉企画はすべて屁のようなものだった。まぁしかしそこはすべてに前進的かつにこやかに事を運ぶのが信条である私のこと、あれを聴いて目を輝かせた中学生が何人かいるのだろうなぁ、と想像することにした。ひとつだけ言っておくと、インタビューを受けたヨーコの、奥歯に物がはさまったようなキレの悪い発言は印象悪かった。それについてはちょうど午前中に私が読んだ‘BURRN !’誌(読んでるのか!)で、インタビューをマネージメントするレコード会社の担当氏の苦労話が出ていたのでいろいろ大変だったんだろうなぁ、とやさしく捉えてあげることにした。
9月20日(日)
こんなところに連休があることは先々週、シルバー・ウィークなる言葉を知ったのはつい先日。明日は敬老の日(6日遅れ)らしいので、シルバーという安易なネーミングか。とりあえずめでたいらしいので、ひねくれものの私からはユダヤの方たちに‘あけましておめでとう’と言っておく。今日もそうだったが、明日からも私は汗にまみれて仕事三昧。ボンビーにヒマ無し。
9月16日(水)
路上に大きく張り出した桜並木の枝がバッサリ切られた。春にはそれはそれはきれいだし、夏には心地良い木陰を作り出してくれていた。しかしそこはあまりにも茂っていたため信号機が見えず、原チャリ・ライダーの私はちょっと難儀していた。桜吹雪、そして落ち葉の量も相当のもの。夏の強い日差しがひと段落したこの時分に伐採作業が行われたことに、行政GJ、と言っておく。
9月12日(土)
朝の大雨の如く、今日は朝から店で大騒ぎ。そんな折、ふいに山田氏来店し‘ハンバーガーが食べたい’。結局丸1日2人体制で汗をかきかき大仕事、そしてM字系のダブル・チーズ・バーガーを頬張った。いやぁ今日は助かった。
9月7日(月)
前回は高校2年のときだったから、22年ぶりの出来事だった。スパゲティを食している最中、フォークにからめた麺がするするっと流れ落ちた。飛び散るソースが一滴右目に入った。辛味好きの私はタバスコを多用する。激痛を覚えたので迷うことなく流しへ行って洗い流したが、なかなか刺激はなくならない。涙が大量に流れると共になんとか苦難の時間は過ぎ去った。目+タバスコは最強だ。催涙スプレーってこんな感じかしら。
9月6日(日)
かくのごとき事象には関心の薄い日本ではほとんど報道されなかったが、先週モンゴルと中国東北部国境付近で‘ハルハ河戦争終結70年記念式典’が行われた。モンゴルの大統領と並んでメドベージェフ・ロシア大統領までが参列したこの式典は、いわゆる‘ノモンハン事件’の記念式典だった。‘わが領土を守った栄誉ある戦い’とメドちゃんは高らかに謳っていたが、そもそも日本の関東軍も領有を主張していたがソ連軍が怖くて問題を棚上げしていた国境地域にソ連軍が一方的に攻め入ってきたことが紛争の原因(なぜ日本軍がそこにいるの?という疑問はちょっと横においておくし、日本軍もいろいろちょっかいは出していたようだが)。日本陸軍が近代戦で初めてコテンパンにとっちめられた戦いだったのだが、じつは死傷者は‘ソ連=モンゴル軍’のほうが圧倒的に多い。それでも戦い終結後は結局ソ連の一方的な主張どおりの領土の線引きになったのだからモスクワとしてはOK。あれだけ土地をもてあましてんだからもういいじゃん、とロシアの方々には申し上げたいところだが、いまだに領土的野心は消えず。異論を唱えたら毒殺か謎の死。いまでも(というか未来永劫)日本の隣国だと思うとゲンナリする。
8月29日(土)
昨日は大当たりだった。相当の確立でないとあそこまで当たるまい。夏場にバイクに乗っているとよく虫が顔に当たったり目に入ったりするのだが、昨日は2匹もヒットした。それも蚊やハエ級ではなくカナブン級が2発。そのうち1匹は50`ほどで走行中に鼻横の骨にヒットして、かなり痛かった。あれは不思議なもので、顔に当たるやつはスローモーションのようによく見える。しかし避けることはほぼムリなので、実際には0.2〜0.3秒くらいなのではないだろうか。目に入る小さな虫などは‘これは入る’と、まるで3秒前から見えているかのようにわかる。目に入られると厄介なもので、すぐに路肩にバイクを停めて涙を流しながらバック・ミラーで‘アカンベー’の目をする。すると即死だろうか、グッタリとした虫が出てくる。まぁ生きたまま出てこられても困るんだけど。
8月25日(月)
よく行くHV近所の金券屋のオヤジを朝8時半頃、思わぬところで見かけた。横浜駅から車だと30分くらいかかるとある住宅地でだ。おそらく出勤途中なのだろう、足早にバスの停留所方面へ歩いていた。ときどき思わぬところで思わぬ人を見かけるものだ。私が見かけるということは、私も見られているということ。見られているのなら気軽に声をかけてもらいたいものだが、私だって‘あ’、という間に通り過ぎてしまったりでほとんど声をかけたことが無い。その一瞬の印象は強烈だろうから、日常いかなる時も侍の如く気を抜いてはいけない(鼻毛を抜いていたりしたら最悪)。でも昨日ある市民プールで見かけたあの子連れのお母さんは、小学校時代の同級生の和子ちゃんだと思うんだけどなぁ。
8月24日(日)
早く済ませなければならない振り込みがあり郵便局に飛び込んだのだが、唯一のATMは工事中。作業中のお兄さんも‘窓口で訊いて下さい’とそっけない。窓口で手続きをすると手数料が高くなるのを知っていたのでATMで済ませたかったのだが、当然こういう場合にはATMの手数料でやってくれるだろうと思い窓口へ行くと、‘こちらだと振り込み料金がだいぶ高くなってしまうのですが’とおばちゃんが言う。すべてに前進的な対応を心がけている私は、‘OK、ハニー。他店に行ってみるよ。’と微笑んでその郵便局を後にした。一瞬‘ジャイアン風ドガー’になりかけたが、呪うはわざわざ工事中に押しかけた自分の不運。
8月16日(日)
先日読んだある週刊誌に書いてあった話。少年隊がデビューした86年の紅白では伝説となった‘仮面ライダー!’とコールされ、さらに衣装替えも失敗し、控え室で涙を流し沈んでいた東山に‘ジャニーさん’はこう言ったそうだ。‘ユー、すばらしかったよ。あれでみんなにユーのこと覚えてもらえるよ。加山さんに感謝しなきゃ。’と。感心した。マネージメント・サイドとして理想的な対応だ。ものは考えよう、という言葉を常に意識している私だが、咄嗟にそのようには考えられないだろう。世の中の人すべてが少しでも良い方へ、やさしい方へ物事への対応、考え方を変えれば、かなり居心地よくなるのではないかと思う。日本はそういうなんと言うか、柔軟性とか茶目っ気が足りない。DOCOMOの携帯電話は契約して2年経つと電池パックを新しくもらえるのだが、‘一昨年の7月からこのケータイは持ってるからもうもらえるかな’と7月23日に窓口を訪れた私に‘ご契約は一昨年の7月31日からなので本日はお渡しできません’とパソコン画面を見ながら軽く言い切ったあの女性の言葉に私はどれだけガッカリさせられたことか。私はできるだけユーモラスに、前進的に物事を進めようと心がけている。
7月21日(火)
新品を買う、という行動が思考回路から欠落している私は、その12年働いて壊れたパソコンのディスプレイの後継を買い求めに‘本切’へ出向いた。いろいろ悩んでこれだ、と決めたやつは\9000でコード、電源類すべて欠落の本体のみ。店内を見回すと雨天ということもあり人出はまばら。ものすごくていねいな店員さんは、頼んでもいないのにコード類をすべて付けてくれるという。‘予算的にきつい’と伝えたら、即決で安くもしてもらえた。高校時代から‘ギターを買うのは雨の日’と決めていた私だが、今日もその原則が効いた。もちろんHVにもその原則は適用されますので、HPで確認のうえ(来店早々昼までに告知します)雨の日こそ奮ってご来店下さい。
7月19日(日)
先週から一気に暑さが増したせいか周囲の電化製品がバタバタと斃れている。まずはパソコン。それも信じられないことに、私の周囲の3台軒並み。毎日見ていただいているこのHPを作成している店頭のパソコンも、実はME時代からだましだまし使い続けていているものでもう虫の息。ある日突然更新が滞ったら‘あぁお陀仏ったな’と思ってください。でそのトラブルとは、あまりにも動作が重いのでメモリーを挿したらOFFICEが動かなくなった。MICROSOFTの電話対応は想像どおり木で鼻をくくったようなものだったので、速攻OPEN OFFICE(←無料でダウンロードできてスゴいよ)を導入して問題解決。自宅居間のパソコンは電源ユニットがスパーク。自室のパソコンは12年選手のやたらとデカいディスプレイがついにお陀仏。さらに冷蔵庫もお陀仏寸前。人間にばかりでなく電化製品にとっても夏は厳しいらしい。本当はクーラーでも付けてやりたいが、私も歳を取ったのか近頃冷気には弱くて…。
7月15日(水)
先日、神奈川県立公文書館に行ってきた。なんだか関内地区にありそうな名前の施設だが、二俣川の運転試験場の奥の地味な場所にひっそりと、しかし豪壮な威容で建っている。歴史資料を収蔵する博物館ではなくて、あくまでも公文書館。行政資料の保管がメインの仕事なので、その収蔵品は土地利用や道路計画図とか見て面白いものから、細かい統計資料やら議事録まで多種多様。広い駐車場も立派な館内もガラガラで、1Fの休憩スペースで郵便配達のお兄さん達が4人くらいグッタリと涼んでいるだけだった。我々が自由に閲覧できる図書収蔵スペースもあって、訪問者がほとんどいないということが理由だろうが、100年くらい前の文書、図書もじかに手に取ることが出来るのはすごい。明治・大正時代の市内の様子を写した写真集(もちろん当時出版された装丁も立派で重い本)の特設コーナーがあって、時が経つのも忘れて見入ってしまった。夏に過ごすには絶好の場所。店主出没の新たな定番スポットとして登録した。
7月13日(月)
世の中には自分の知らないことなどいくらでもある。降雨量を示す‘○○ミリ’のこの数値ってどこにどういうふうにどれくらい振る数値なの?とか、‘月極駐車場’の‘月極’ってなんで駐車場にしか使われないの?とか、なんでイギリス人は真冬でも半袖のTシャツ一枚で歩いているやつがいるの?とか、まぁとにかく森羅万象について??なことだらけ。どれもちょっと調べれば分かることで、オマエの無知と怠惰が理由で勝手に知らない、分からないと騒いでいるだけだろ、と言われればそのとおり。じつはそれらのことは、どこかで急に答に出会うことがいつも愉快なので放ってある(6月29日の当日記のように)。そしてついでに分からないのがマスコミが騒いでいる衆議院の解散時期。‘一両日中に決断’とか‘早期の解散を余儀なくされ’とか、昨秋以来なんでロケットの秒読みのように毎日毎日騒ぐのか?1日ずれて投票日が何日かずれるとなにか変わるの?いいじゃんいつでも。私が想像するに、マスコミが勝手に‘一刻も早く報道しなきゃ’という強迫観念に駆られているだけでは。選挙好きだからね、彼等は。票読みだけしていてください。
7月12日(日)
いよいよ私の嫌いな夏がやってきた。夏でいいことは、バイクに乗る前と乗った後の着衣の脱着の手間が省けることくらい。今日はちょっと回りくどくてグチっぽくて分かりづらい話になるがお付き合い願いたい。今年は夜の寝苦しさに対処すべく(クーラーをつけながら寝るのは嫌い)、春からギアを買い揃えた。いわゆるクール・ジェル入りのマットというやつで、敷き布団1枚分の大きさのものと枕用のもの、合わせて\20000近くも払った。類似品が多かったので、とりあえず盲目的に一番高いやつを買った。それくらい私にとっては切実な問題なのだ。さあこれで今夏は毎晩快適。ルンルン♪ と夏本番を迎えようとしていた3日ほど前、この手のジェルはほとんど効果が無く、消費者センターから業者に改善勧告(だかなんだか)が出されたという報道があった。ガビーン。(←小学生時分以来久々に使ってみる言葉) 考えてみれば、事前に電力やらガスやらのエネルギーをまったくその物体に与えず、周囲より常に温度が低く保たれるものなんて、錬金術や永久機関と同じくムリな話だということは分かる。ただし、その消費者センターの実験でも30分程度は効果があるということは認められていた。つまり、マットを気温より低く保つことはできないが、しばらくの間は体温よりは低く温度を保つことには一定の効果があり、夏の横臥時の最大の敵である布団と体の接触部分の暑さを軽減するには役立つ、と読み取ることが出来る。室温30℃<マット<体温、という式が成り立つなら、寝入るまではなんとか働いてくれそうだ。その考えをなぐさみにしつつ、なんとか\20000分の元を数年で取ろうと思う。説明書によると5年は持つらしい。1年\4000。暑い夏が50日として、1日\80、それくらいなら払ってもいい。しかし近年、夏の暑さというのは本当にやばい。毎度引用する江戸研究者の石川英輔氏によると、‘欧米の都市と異なり江戸の道路に舗装が施されなかったのは、夏に暑くなるのを防ぐため’らしい。夏に‘冷やす’という行為がほぼ皆無だった江戸時代、暑さは衛生上もまさに大敵。雨の日のぬかるみやら風の日のホコリをガマンしてでも、暑さは避けるべき代物だったのだ。横浜市は現在、道路面積、建築物の屋根の面積、そして田畑の面積がそれぞれ市面積の7%前後だという。他に森林や河川があるとはいえ、江戸時代の人々の知恵をすっかり捨て去り、どんどん環境は悪化の一途を辿っている。マットで気持ちよく寝られるくらいの今はまだ幸せかもしれない。さて、今夏が終わるくらいの時分にマットの使用報告をしようと思う。
7月4日(土)
神奈川県には160ヶ国からの外国人が住んでいて、だいたい人口51人のうち1人が外国人だという。ただしそれはオフィシャルの数字。実際には日本には10万人を超える不法滞在の中国人がいると先日報道されたし、神奈川県に限らずどこも外国人は増え続けている。HV周囲は無論(!?)、実際街を歩いていても中国人が多いことはよくわかる。私の知り合いのオジサンでも何人か嫁が中国人という人がいるのだが、すごいらしい。とにかく一族郎党何だかんだ言って全員来る。ちょっと怒ることがあって‘もう中国へ帰れ!’と怒鳴ったら、‘親戚一同日本に来ちゃったから帰るところ無いよ’と言われてガックリ来た、とオジサンは言っていた。他の例では、ちょっと私が新居の面倒を見ることになった新婚の純情そうな27才の彼のお嫁さんは中国出身の21才。やはり中国出身の知り合いにちょっと‘結婚したいなぁ’と言ったら、すぐにかわいい女の子をあてがわれた(?)そうで、日本に来たことも無ければ縁も無い彼女の郷里にあいさつに行って歓迎されたと言っていた。中国の女性は婿探しが大変だとニュースにあったが、手塩にかけて育ててきた娘を外国に急に持っていかれることになったご両親の気持ちを思うと、一方的に喜んでやることも出来ない。それとも‘やった、日本に行けるぞ!’と親戚一同ガッツ・ポーズだろうか。きっと彼も今は知らずとも、彼女の一族全員を背負って今後ずっとやってゆくことになるのだろう。合法的にも非合法的にも中国人は確実に周囲に増えている。
6月29日(月)
一昨日に私がここで紹介した「 Watermelon Man 」や以前の「 America 」がそうだが、原曲が全く偲ばれないカバー曲というのは多い。私はつい3日ほど前まで‘こんなに原曲を崩しちゃってんならロイヤリティ払うの馬鹿らしいから自作曲扱いにしちゃえばいいのに’と思っていたのだが、原チャリに乗っているときに雷に打たれたようにひらめいた。‘有名曲だからこそ“カバー”ということをアピールしている’のだと。どれどれあの曲なら聴いてやろう、という消費者の行動心理を期待しているのだ。全くの我流オリジナルが90%を占めていてもチョロッとサビ部分のメロディーをなぞった部分があれば、原曲が有名曲である限り‘カバー’としたほうがいいのだ。ということは、無名の曲から構想を得た、もしそれが有名曲だったらそう銘打たれていたはずであろう、カバー曲が‘カバー’とされずに多数存在していることになる。こういうふうに、長年解けなかった問題の答がよく降ってくるのが、原チャリを運転している最中。私にとって貴重な脳内休息時間だ。
6月27日(土)
マイケル・ジャクソンが現役スーパー・スターだった80年代半ばに洋楽を聴き始めた私だが、結局『THRILLER』も『BAD』も聴いたことが無い。86〜87年に家庭教師で教えていた小学生の男の子の中3のお姉さんがマイケルの大ファンで、彼女の部屋には大きな‘BAD’ポスターが貼られていたのを思い出す。思い出しても周囲にマイケルのファンは彼女くらいで、オイラと同窓の男子校の仲間はWHAM !やらCULTURE CLUBは聴いてもマイケルのLPを持っているやつは誰もいなかった。そのせいか未だにマイケルは女性、子供へのアピールが大きかったエンターテイナー、という印象を持っている。ただし彼のダンスは見ていて愉快。バック・ダンサーを多く従えていても、その中で別格にひと際冴えたダンスを見せてくれるのがマイケル本人だということはすごいと思う。HVの見立てとしては、やはり彼のファイネスト・アワーは70年前後ということに落ち着くのだが、その時代の彼は昨今の彼の称号‘KING OF POP’は似合わない。未来に受け継がれてゆくマイケル・ジャクソンの印象は圧倒的に‘ポーウッ!’だと思うとちょっと残念。本当はそのお姉さんと当時高2のオイラのことについて書いてみたい気もするが(もう時効)、まぁ一応今日はマイケルの話ということで。
6月23日(火)
やっぱり見た。前回(1月19日)書いてから5ヶ月を経た今朝、時期的にはちょっと早いけれど大学の試験の夢を見た。電車を降りるとどこだか分からぬど田舎で、なぜか改札ではなく変なところに導かれ出てみれば専攻の仲間が集まっていてどこかに車で連れて行かれた。刻々と試験開始の時間は迫る。おまけに準備は全く出来ていなくて…。いつも同じ。さて、次はまた年明けくらいかしら。乞うご期待。
6月20日(土)
‘ヨコハマトラディショナルヌードル’とのことなので、私の知らない定番でもあったか、と買ってみた。近所のスーパーで\99。会期の1/3が過ぎたのに目標の8%しか観客動員がないY150博にとっては、こういうオフィシャル・グッズ(タネ丸ロゴ入り)の存在は心強いに違いない。しかし結果を言うと、これはトラディショナルでもなんでもない。これが定番足りえるわけが無い。横浜の定番を知らないとは!、と自分をちょっと恥じたが、どうやら新たなる定番化を目論む一味による強引な商品化だったようで、一瞬であれ焦ったのは取り越し苦労だった。‘カレーがあるならハヤシもね’というような安易な発想は、常に失敗に終わるのだ。
6月14日(日)
ビートルズのレコードはほとんど発売と同時に買っていた、という方から東芝音楽工業の赤盤をほぼ全タイトル一気に譲り受けた。そしてそれを今日一日ですべて試聴したのだが、いやはや。思っていたより音が良い。脳内の比較対照が未だに日本盤旗帯シリーズだからか、まったく問題無いどころか目からウロコの思いだ。前提として‘赤盤は音が悪い’という思い込みがあったとしても‘思っていたより’音が良い。恥ずかしながら私にはこれで十分。どれも最初に手にした人に連れて行ってもらえるように、格安に価格設定しました。今日思いがけず出会えた方はラッキー☆。ビートルズだけじゃなくて60年代全般どっさりなので、これからは随時箸休めに特設の‘JP盤コーナー’もご覧遊ばせ。
 こんなのでも意外とこれくらいジャケがきれいなのは無いんだよね。
6月7日(日)
膝栗毛のおかげで気分はすっかり旅人。今日みたいな爽快な天気を見れば旅日和だなぁ、などと考える。それにしても弥次喜多の2人は肉食系男子丸出し。娘の母親に‘今晩娘さんをお貸し下さい’と頼むし、女が同宿していると知れば‘ぶっちめてやろふ’‘這ひかけてやろふ’ということしか考えない。そして必ず皆が寝静まった夜中に行動に移る。‘夜中’といったって、今で言う8時くらいとかなのだが、いかんせん外も内も真っ暗。真っ暗が故の騒動、どんでん返しが必ず起こり、結局思いは果たせずガックリくるというオチが笑える。この‘夜は真っ暗’とか‘投宿の際にはまず必ず宿のおかみが足を洗う湯を桶に入れて持ってくる’とか、現代と明らかに異なる風俗、習慣も細かく描写されているところがまたまた面白い。毎晩寝る前の10分くらいしか読めないので足取り遅く、まだ新居の関に着いたところで旅程の半分を過ぎたばかりだが、京都までの珍道中はまだまだ楽しみだ。
6月2日(火)
朝から晩までFM横浜は‘開港150周年’祭だが、そういえば横浜には開港記念日というものがありまして(一応横浜以外の方へお伝えしておきます)、それが本日。たいていの市民は‘開港記念日は?’と尋ねられたって答えられないわけで、私なんぞはなんとなく5月終わり〜6月に1日学校が休みだったなぁ、と記憶している程度。そんなめでたい?今日だが、私は横浜を離れて県央部を訪れた。ちょうど田植えの時期らしく代掻きをしたり乾田に水を引いたりしている光景が涼しげだった。実際、家の周囲が水田だったら夏は心地良かろう。緑区内のよく私がバイクで通るところで、周囲を森に囲まれた思いっきり水田に面して立つアパートがあって、夏でもいつも1Fは開けっ放しでカーテンが風になびいている。いいなぁ、あの部屋。おまけに傍らにはお地蔵様と石塔も。暑い夏が近づきつつあるこの次期、私は日々涼しさのことを考えている。
5月31日(日)
ここしばらく、お客様方から‘○○が閉まるって’とか‘△△の閉店セールに行ってきた’とか、他レコード店閉店という寂しい話をよくきく。店主の方々はいつ頃から閉店を意識し、そして決断に至ったのか。とても興味がある。
5月29日(金)
1月10日の日記に書いたところなので残念なのだが、石本美由起氏が亡くなった。まずご存命だったことに驚き。(失礼) 氏は横浜駅からほど近い丘の上の松が丘にもう何十年も住まっていて、その丘の向こう側にあるのが我が母校の三ツ沢小学校。ご近所のご縁ということで校歌の成立にいっちょ噛んでいただけたのかしら、などと思いを馳せてみる。どうもここしばらく昭和歌謡曲の大物がどんどん世を去るなぁ。

1967年 石本邸新築パーティーにて 美空ひばり、古賀政男、服部良一ら多士済々が松が丘に集まった
5月25日(月)
特別相撲に興味は無いのだが昨日の千代大海の取り組みはすごかった。ネット上のニュース項目でどうやら笑えるネタらしいと踏んでその取り組み動画を見てみたのだが、ありゃひどい。カド番脱出を決めたというその一番では、相手の把瑠都が明らかに勝手にすっ飛んで土俵下に転げ落ちている。いわゆる千代大海の‘空気投げ’らしい。‘7勝7敗の大関は千秋楽で負けない’の他多くの不文律がある角界だろうが、あれじゃあテレビの解説者も困っちゃうな。もう良識ある(?)ファンからは‘プロレスと同じエンターテイメントだということを理解してやれよ’という声も聞こえてくるが、把瑠都には‘もうちょっと上手くやれ’とエールを送っておきたい。
なんとダイエーで‘開港写真パネル展’なるものをやっているぞ。ショボいけど。
5月24日(日)
今夢中で読んでいるのが東海道中膝栗毛。中学生の頃から長年読んでみたいと思っていて何年か前に上下巻揃いを古本屋で購入しておいたものだ。口語調で軽いタッチで書かれているものゆえ古典らしい難しさはほぼ無く、現代小説と同じように(いやそれ以上に)どんどん読み進めることが出来る。ご存知弥次さん喜多さんが主人公で基本的に食べ物と女ネタばかりなのだが、いきなり冒頭の‘或人問、弥治郎兵衛喜多八は原何者ぞや。答曰、何でもなし、弥治唯の親仁なり’(あるひととふ、やじろうべえきたはちはもとなにものぞや、こたへていはく、なんでもなし、やじただのおやぢなり)という作者解説でガクッと来て、その後はまさに珍道中。考えてみればたかだか200年前の作品、‘あぁ当時から今と同じ表現をしていたんだ’と感心させられることしきり(藤沢で熱いだんごを食べて口の中をヤケド、‘ピリピリ’した、という等)。江戸弁が飛び交い小ネタ、ギャグのオン・パレード(ただし作者十返舎一九の知識の豊富さ、機転の良さは当然ながら本物)。古典でこんなに笑えるとは思ってもいなかった。江戸庶民に広く受け入れられたという事実を踏まえると、当時の人々の教養の高さ、知識欲の旺盛なることに改めて感心する。江戸研究者の石川英輔氏が常々指摘しているように、江戸の人々は不便ながらも毎日楽しく愉快に暮らしていたのだろうと思う。
5月18日(月)
‘あら、この店つぶれたね’などと親が言うのを子供の時分には不思議に思っていた。ペシャンコになったわけでもなくちゃんと外見は存在しているのに、なぜ‘つぶれた’なのか。さらに中京圏出身の愚妻は‘洗濯機がつぶれた’、‘車がつぶれた’などと言う。もちろん空からの隕石にぶつかられたなどということもない。近頃結論を導き出したのだが、店は‘つぶれる’ものではなく‘つぶす’ものだ。責任者が意識的に動かないと店はつぶれてくれない。
5月17日(日)
田浦あたりの連続トンネル攻撃を抜けて、横須賀市街へ行ったのは20年ぶり。近くにありながら全く行く機会のなかった横須賀だったが、昨日は早朝から1日中滞在していた。なんと、伝説の‘小松’が往時そのままの姿(多分)で存在しているではないか!いつかちゃんと客として行ってみたいが、いくらくらいかかるのかね?
5月11日(月)
先日あるところからJP7''盤を100枚あまりちょうだいしたのだが、まぁ当然ながら価値があるものはロクに無い。何枚か聴いてみたいものがあったのであまりに汚れているものは乱暴にも石鹸で洗ってみたのだが、東芝赤盤を洗っていたら水が赤くなった!なんだなんだ?この石鹸は盤を溶かすのか?、いやいや製造時に盤に付着した赤い粉(そんなものは無いのだが)が洗い落とされているのに違いない、などという考えが1秒の間にうかんだが、結局はなんてことない。‘乱暴に’レーベルごと洗ったため、赤いレーベルの色が落ちて水に色が付いただけ。‘赤盤は溶ける’という新発見をしたのかと思ってびっくりしたよ。1秒くらいだけね。
5月10日(日)
タモちゃんがモテモテだそうだ。うらやましいなぁ、モテモテ。その解任劇から半年あまり、前航空幕僚長田母神俊雄氏には追っかけギャルまでいるといい、先日行われた初のサイン会では女性が多く列をなしたという。‘だましたつもりがちょいとだまされた〜 オレがそんなにモテるわきゃないよ’と植木等は歌ったが、還暦にして急にモテモテってどんな感じなのだろう。還暦でモテモテな人、おせーて。でも究極にすごいのは、アンパンマンの作者やなせたかしの以下の名言。

‘85を過ぎたらいくら女性を触っても怒られなくなった’←安部譲二がうらやましがっている
5月9日(土)
靴の中敷がボロボロになったので買い換えようと物色したら、軒並み\500以上。なかには\800近いものまであり、想像以上の高額に(靴1足買えるじゃん!)購入をためらっていたらいよいよ困ってきた(汗を掻く季節ゆえ脱ごうとするたびにベロッと剥がれて足裏に引っ付いてくる)。たまたま寄った\100ショップで見つけた中敷を購入したところ、おう!ぴったりフィット。面倒くさいカッティングの作業も必要なく(カッティング・エンジニア)、封を開けてそのまま靴に入れたらバッチリ。いつまで持つか分からないけれど、とりあえず予算内でいいものを見つけたと喜んでいる。
5月4日(月)
‘チョコクッキー’味のカップ・アイスを食べたら、上蓋に‘カカオ感アップ’と大書きされていた。何と比べてアップなのか。具体的にどうアップなのか。原材料に変わりはあったのか。そもそも原材料表示欄に‘カカオ’は無い。しかも‘カカオ’とは何か?風味?匂い?味?クスリを入れただけ?比べようが無いので結局のところ製造者側の‘アピールしたもん勝ち’だ。べつにこの文字があったからわざわざ買ったというわけではないのだが、なんだかだまされた感がじわじわと湧いてきた。広告の曖昧さと引っ掛けの技術というのはこういうところでも日々進化しているのだと思い知らされた。悔しいからメーカー、銘柄名は出さない。
5月3日(日)
気持ちよく車を走らせ、手動でグルグルと窓を全開にして右ひじをそのドアに乗せた瞬間、‘ビシビシーッ!’と電気ショックのような激痛が走った。静電気にしちゃーヒドいな、と思って見るとハチが。ハチに刺されたのなんて20数年ぶり(嬉しくもなんとも無いが)。肘のちょっと内側辺りがプクッと膨れて、20分くらいはヒリヒリと痛かった。ここ数年ミツバチをはじめとする小型のハチが世界的に激減中だというが、あの小さな一匹も私を刺して死んでしまうのだろうか。まぁ彼も寿命が来る前に一刺しできて本望だったろう。
5月1日(金)
今日午後、今井町の山間部に用あっていたところ、カブに乗った警官がひとりやってきた。格別用があるというわけではなく‘ど〜も〜’見たいな感じですぐに去ったのだが、あれは明らかに我々は不審者扱いされたな。取ってつけたように‘防犯にご協力を’とチラシを1枚置いていった。その後も彼は行き止まりの細い道を先まで進んで15分後くらいに引き返して来たから、言うように本当にDAILY ROUTINEの巡邏中だったかもしれない。あんな山奥にまで単身来るのか、警察は。ご苦労様。保土ヶ谷警察からなんてかなり距離あるぞ。旭警察からならすぐ裏手あたりなんだけど。
4月28日(火)
HV界隈の横浜駅西口の人の波の凄いことよ。そして深夜のタクシーの行列(違法場所だよ!)。まったくどこが不況なのやら。巷間‘100年に一度の不況’などと言われる昨今、安野光雅も怒っていたがそのとおり。お前は昭和初期の恐慌、そして戦後の焼け野原を知っているのかと。都合の悪いことを‘100年に一度’のせいにして自分の責任を逃れようとする悪漢どもの造語だ。世の中不況はHVだけで十分だ。でも気付いたのだが世の中はいはゆる黄金週間。そして明日が天長節ということで、本格的に連休に突入する輩は今晩辺りは街で気勢を上げたいところなのだろう。カネが無いのを幸い、今宵も私はHVで彼等のイエ〜ィという声を窓越しに聞きつつキーボードを叩く。
4月27日(月)
片倉町のある選挙立候補者の事務所に詰めていた私に、ネクタイを締めた不動産屋の営業氏が用があるとやってきた。曰く‘リガにオススメの別荘がある。買いませんか。’と。‘リガって、エストニアのか?’(実際はラトビア)と困惑する私。彼はじっと私を見つめてうなづいた…。サイケだ。謎だらけだ。そんな夢を昨日見た。いったい何を暗示しているのか。誰かおせーて。
4月25日(土)
その22才だという色白の彼は1m80cmあるという。見るからに細く体重は50s台で生まれてからずっと食欲は細いという。じつに温厚でもの静か、‘好きなアイドルとかいないのかよ’と尋ねても‘別にいませんね’とニコニコしている。勢いで‘じゃあ今話題の草食系男子ってやつか’と私が言ったら、‘それは違います!’とキリッと強い視線で睨まれた。‘草食系男子’ってネガティブな言葉なのか?私なんぞはガツガツしすぎて(押忍!)恥ずかしい思いもたくさんしてきているだけに、‘草食系男子’という言葉には良いイメージを持っていたのだが。
4月20日(月)
階下の郵便局のATMコーナーには今日もう冷房がかかっていて呆れたが、じつは先週くらいからあちこちで冷房を浴びせかけられている。つい先々週くらいまでは暖房攻撃に辟易していたものだが時が移ろうのは早いらしい。それも室内温度を決め付けているからだろう。いいじゃないか、上下20℃くらい幅があっても。皆さんもよく聞く話だろうが、イギリスでは店内氷点下でコートを着て、真夏のアメリカでは40℃の猛暑の中大汗かいて扇風機の騒音を聞きながらレコ堀り、というのもよくある。とにかくレコ屋、に限らずたいていの店とか部屋には空調は無い。なんでも快適、ということに馴れすぎると必ず落とし穴がある。
4月18日(土)
数年間(5年くらい)部屋の片隅に転がっていた汚い大きな箱。急に目に留まったので思い出したように開けてみた。ピカピカのYAMAHAのアコーディオンだ。父親がどこかからもらってきて私に押し付けたものだが、実際に触れるのは昨日が初めてだった。一応鍵盤系の楽器には覚えがあるのでエキスパンダーの要領で(?)ブーブー音を鳴らしてみたが、じつに愉快。左手指でポッチを押すと勝手に和音が鳴り、右手の鍵盤でメロディーを弾くという感じ。あれで難しいのは‘弾く’という行為より‘開く’‘閉じる’ということ。とくにリズムに乗って‘開く’という行為は難しい。そしてなにより、あれは人前で披露するものゆえ演者の身なり、表情も大切だろう。必至の形相で汗かいて演奏するものではない。そのうちきっと皆さんの前で蝶ネクタイつけて(横にダンサーを従えて)1曲やらかす時が来るでしょう。
4月14日(火)
当HPトップ・ページの背景の石垣みたいのは何?、と尋ねられるのだが、あれはそのまま石垣。横浜駅からもっとも近い東海道(旧街道)である台町には江戸時代から続く料亭があったり関門跡があったりするんだが、今でも何軒かある旧家の威容がなにしろ立派。現在は平地になっている昔の海上だった横浜駅近辺を見下ろしながら坂を上下する台町には、このような立派な石垣がいくつもある。私が好んで通る裏道でもあるのだ。

インカの石積みに負けないだろ、これは。
4月13日(月)
ちょっとある企業の住所を調べようと思いホームページを見たところ、各部門の電話番号は出ているのに肝心の事業所所在地が出ていない。しょうがないからネット上で検索してみたところ、出ているべきところ(例えば‘YAHOO !電話帳’とか)にも出ていないのでできるだけ秘匿しようとしていることは確実だ。結局とんでもないところで見つけたのだが(短期従業員派遣会社によるその企業への募集要項ページの申し込み宛先案内)、結局1時間くらいしたくもないところでサーフィンをしてしまった。どうせもうちょっとこっちが本腰を入れればバレるのだから最初から公開してもよさそうなものだが、とりあえず消費者側からの五月蝿いアプローチの何割かを堰き止められればいいと思っているのだろう。HVみたいな小規模事業者はやましいことは何も無いので情報は全てオープンだ。
4月11日(土)
これは真剣に悩むことなのだが、レコ掘りをしているとひどい鼻水に悩まされる。ひょっとしてオレはレコード・アレルギーなのではないかと。実際はホコリに対してなのだろうが、イギリスでもアメリカでもシングルを掘っているとダラダラと水っ鼻がヒドいことになる。しょうがないから片手で鼻をつまんでみたりもするが、それだと勝手が悪い。マスクをすると目立つし。カゼ薬を飲むとなかなか調子よいのだが、健康なのに薬を飲むのもどうかなぁと憚られる。結局ズルズルとすすりながら、ときに上を向いたりしながら掘り進める。次回からは真剣に洗濯バサミを持参しようと思っている。
4月10日(金)
常に金欠の我々の常宿は最低価格の最低サービスのモーテル。泊まっている連中もそれなり。でも、他のモーテルに泊まっていた仲間にきくと、‘バイクの集会場になっていて夜どおしブーブーうるさいしラップ大会まで始まっちゃった。それなりのクオリティあるモーテルなのにだよ。’と泣きが入っていた。我々のモーテルは意外と落ち着いていて快適だった。アメリカのモーテルのいいところは、どんなに安いところでも広いベッドに清潔なシーツで寝られること。そしてたっぷりの水量のシャワーで爽快なこと。ヨーロッパなんてそれなりのホテルでも排水溝の流れが悪いとかショボショボとしか出てこないことが多い(イギリスとかオランダとか山が無い国にて顕著)。車で動き回るアメリカの旅では本当に欠かせないモーテル。どんなに安いところでも治安と騒音さえさえ別にすれば(別にするなよ!)誰だって睡眠だけは気持ちよく貪れることでしょう。
4月7日(火)
アメリカではオバマ大統領の訪欧と、またまたの銃乱射事件が複数起こり、その2つでニュースはもちきり。しかし簡単にほいほい渡米する我々だけれど、アメリカ人が皆銃を持っているという事実にはもっと驚くべきなのではないだろうか。宿泊するモーテルだって、サム・クックが殺されたりと事件の舞台になったという歴史には事欠かない。でも考えても対処方法はないし、私なんてビクビクしつつノビノビと(?)カラッと気持ちいい天候を楽しんできた。早速明日から毎日入りますよ。
3月31日(火)
やたらと道路工事が多かった今年の3月も終わり。思えば20年前の今日までが高校生で、明日からは大学生。嗚呼もう20年か。高校生までは年刻み季節刻みで細かく覚えているから、‘中2の秋でビートルズの日本盤各国編集盤が一斉に廃盤になった’とか、‘高1のGW始まったばかりの雨の日、体育館前の広場で部活の仲間と野球をやった日にチェルノブイリ事故があった’とか細かく思い出される。が、大学入学と同時にすべてが疾風の如く過ぎ去り、それまでの18年とそれからの20年の濃さが4対1くらいに感じられる。7〜8年前も昨日も同じ。忙しいからなのか怠惰だからなのか。さてと、ちょっと引き締めて毎日を過ごさないと、すぐに死ぬるな。
3月30日(月)
昨日、PKにまでもつれ込むようなけっこうマジメなサッカーを40分ほどやったのだが、まぁ今朝から体中痛いことよ。脚はもちろん文字どおり首から腕、胸、背中まで体中。高校卒業以来まったく運動をしていないので当然なのだが、くしゃみやしゃっくりをするたびに全身に激痛が走り、じつに一挙手一投足が不自由。ずぼんさえロクにはけない。運動が仕事の人、ご苦労さん。私も明後日から1週間ほど肉体労働なのですがね。
3月28日(土)
先日LEDライトのマニアの人と話したのだが、どんな分野であれ何かにのめりこんでいる人の話というのは面白い。自らの車はゴテゴテとLEDで飾り付けられ車内は賑やか、ブレーキでも踏もうものなら後続車はビビるほどになっていた。彼曰く‘鴨居に看板も出していない無愛想な親父の店がある’とのことで、その店での逸話などなど笑わせてもらった。LEDマニア向けの商売でやっていけるなんて、鴨居のその店が羨ましい私です。
3月23日(月)
HV界隈の横浜駅西口との付き合いは、私の記憶にある限りでも35年ほどになろうか。‘当時は自宅近くにスーパーが無かったのよ’(店主母談)ということで、父親の愛車VOLVO(マスタード・イエローの!)で狭いダイエーの駐車場を出入りしていたのを覚えているし、最初の自転車を購入したのも岡野町交差点角の島田サイクルだった。そして高校時代には毎放課後に溜まっていたのがシェーキーズ。平日夕方なんて人がいなくてガラガラで、\200のドリンク1杯で他校の友人等とワイワイ楽しかった。たまに誰かが\380のサラダ・バーなんてとると4〜5人で喰らいついて、店員に怒られて喧嘩になったりもしたっけ(私達がわるうございました)。で、昨日午後そのシェーキーズ前を通りかかったのだが、階段の上の入り口からも溢れて路上にまで長蛇の列の人が。いくら休みの日とはいえ、あそこまで混むか。ガラガラのシェーキーズをよく知るオイラは勝ち組み。
3月21日(土)
月曜日にグチグチ書いたETCの話、どうやら本当のようだ。‘値下げ’でもなんでもなくて、結局ただ税金からジャブジャブとお金が投入されるだけという話は一部夕刊紙(記者クラブ未加入)が伝えているが、大手新聞テレビは(私が見聞きした範囲では)華麗にスルー。この政策がスタートした昨日当日の、プロレス実況アナのなんとかステーションでも全然触れていなかった。やっぱり特集を組んでいた昨夕のNHKラジオに出演していた国土交通省の役人がせっかく‘5000億円の税金を投入’という発言までしたのに(一部報道によるともっとすごい金額らしい)、‘何に?どこに?’というツッコミをしないアナウンサー氏の職務に忠実なる事に尊敬の意を表する。以下またコピペで失礼だが、お読みいただきたい。


●高速料金値下げがETC車に限られるうえ、今なら車載器の購入で助成金5250円が出る。しかし、「ありがたや」と国に感謝している人は甘い。この助成金、もとはドライバーから徴収したカネなのである。「助成金の出どころは、国交省の天下り法人『高速道路交流推進財団』です。かつて高速のSAやPAの独占事業で莫大な利益を上げ、民営化後は道路会社にこれらの施設を売却、380億円もの巨利をむさぼっていたことで問題になった。昨年1月、国会で追及された冬柴国交相(当時)が、2013年での解散を決め、『資産は高速利用者に還元する』とブチ上げたが、今回の助成金は最大50億円。380億円には程遠い金額です」(霞が関事情通)還元額が全然足りない。しかも、この助成金によって別の天下り財団が肥え太るデタラメが起きている。ETCのセットアップ事業などを牛耳る財団法人「道路システム高度化推進機構」(ORSE)だ。かねてETC利権が指摘され、“正味財産”は07年までの5年間で25億円から57億円に膨れあがっている。今回の助成金でETC利用者が爆発的に増えるのは確実で、また濡れ手で粟のボロ儲けだ。「財団はETCのセットアップ1台ごとに高速道路会社から294円を受け取ります。これが年間計15億円に上る。それとは別に、14億円超の『鍵使用料収入』なるものがあり、車載器メーカーやETCカードを作るクレジットカード会社が財団に支払っている。もちろん、ETC利用者が増えれば、これらの会社も儲かるから、まさに助成金“特需”です。財団役員には、国交省や経産省からの天下りのほか、車載器メーカーやカード会社の幹部も名を連ねています」(前出の事情通)国交省からは元北海道局長の村岡憲司氏が専務理事に、元大臣官房総括監察官の石原孝氏が常務理事に天下っている。2年間の高速料金値下げ期間が終われば、庶民にはETC車載器だけが残る。その後も、この新たな利権団体にむしり取られ続けることになる。 ●


もちろん‘正規料金’と‘\1000’の差額は税金でしっかりと一部利権団体の為に補填される。とても‘値下げ’などではない。‘現金でも一律\1000’にならない限り、血税がどんどん一部の人たちに吸い取られてゆくだけなのだ(まぁ仮にそうなったとしても役人さんたちは天才的な策を弄してしっかりと利権構造を作ろうとするだろうが)。昨夕の国交省の役人も、ムリして作り上げた来たような‘利点’をゴニョゴニョと並べて全面的にこの愚策のプロモーションをしていた(またそれをしっかりと放送するNHK)。先日漢字検定協会だかなんだかがチクリとやられていたが、ああいうのはきっと役人の怒りに触れるような生意気な態度をどこかでとったに違いない。それより先にこの‘高速道路交流推進財団’やら‘道路システム高度化推進機構’やらの巨額の利益を易々と得ている団体を刺せよ。それにしても、役人やら利権がある人やらの意に反するネタを、キチンと示し合わせて報道しないマスコミの姿勢には今さらながら呆れる。私は今後も一般道を深夜に移動するという方針に変わりはない。高速を利用しなければしないほど、結局自分の払った税金を(たいした額ではありませんが…)まったく自分と関係のない理由により一部の人の為に使われてゆくだけになるのが癪だが。でも一番いいのは、何も考えずにETCを使って\1000で遠出して楽しむことだなぁ。
3月16日(月)
ETC車載器の無料配布で一部で混乱が起こっているようだが、ETCは原発とかパチンコのプリペイド・カードと同じで完全に利権になっているということはなんとなく知っていたので、今回のような政策(高速道路一律\1000等)にはとても胡散臭さを感じていた。詳細は分からないのであくまでも‘胡散臭さ’なのだが、上手くまとまった文章に出会ったのでコピペであることを断った上で以下に掲載する。ちょっとラディカルな論調ではあるが、どこまでが本当かは皆さんのお考えにお任せする。
「値下げ」というのは欺瞞だ。値下げの恩恵を得るには「利用者負担でETC装置を装備した車」であり、ETCがなければ無意味である。ETCの装着率は40%であり、要するにETC利権拡大策であり、景気刺激策ではない。「30年もすれば無料化」との話を反故にし、高速道路有料化状態の永久化をするのがETC利権の目的だ。今回の割引と「通常料金」の差額は税金負担であることが報道されていない。福田政権時に可決した「安心実現のための総合対策」の政府予算4000億円のうち、ETC割引に、その1/4の1000億円が使われている。偽装民営化した高速道路会社には国交省のお役人が天下っており、「経済政策」などと称して国民の税金を投入するという話は報道されていない。今回の「高速道路通行料の割引」という欺瞞、「安心実現のための総合対策」の実態とは、一般国民から関所通行料を徴収し続けて、「割引」と称して税金から割引分を徴収する国民搾取制度の維持策動であり、天下り先の収益確保を目的としたエゴイスティックな省利省略だ。国民の税金を掠め取り、利用者にETC装置を買わせる負担を強いる道路族議員と国土交通省の天下り役人とはいったい何様なのだ? 国民の財産を毟り取る官僚特権は早急に廃止すべきだ。
3月14日(土)
線路上の橋という橋の上には人の群れ。何かと思えばアレか、ブルー・トレイン。今日の昼前に上りの最終便が横浜駅にやってきたらしい。あんなに世の中にはいるのか、鉄オタが。ファンが多くて羨ましいと思うが、走らせてる方にしてみりゃ‘オマエらどれだけ使ってくれてたんだよ。いまさら騒ぐなよ。’と言いたいだろう。私の思い出としては中学高校時代、夕刻に部活を終えて京浜東北線に乗っていると、当時は‘みずほ’‘あさかぜ’‘出雲’‘瀬戸’‘富士’‘はやぶさ’等々(おまけに1号とか3号とか)数多くあった青い車体が必ずしばらく並走していた姿が懐かしい。報道の論調としては、寂しいけどしょうがないね、という感じが多いようだが皆さんはどうだろうか。
3月9日(月)
その和菓子屋は\300につきスタンプを1つくれるのだが、よく買い物をするのでスタンプも順調にたまり、あと3つで次回に大福がひとつもらえるというところだった。その日の買い物合計は\875。べつにスタンプが3つ欲しいから\900買わなきゃ、とか計算したわけでもなく、食べたいものを必要なだけ買っただけ。そうしたら店のおばちゃん、当然のごとく2つだけスタンプを押してくれた。ありがとう!
3月7日(土)
先月から今月初めにかけては散々だった。@カッターで左手人差し指をグサリ A右手中指には史上最悪のササクレ B唇わきにできもの C口内炎 D急激な走りこみで左足ふくらはぎが肉離れ E首の寝違え F左足首をひどく捻挫(Dとは関係無い件で) が2週間の間に次々とやってきて常に体のどこかが痛かった。ただし幸いなことに寝込むことになるような、根本的に体調に直結するような事態はいっさい無く、食欲も旺盛。インフルエンザやら発熱やら花粉症とやらとも無縁でやってきている。例年3〜4月に一度寝込むのだが今年はどうかしら。HVの売り上げに関しての心労以外は今のところ大丈夫なよう。
3月2日(月)
深夜に一人YOUTUBEで‘鉄血勤皇隊’についてのドキュメンタリーを見ていて涙が滂沱と流れてきた。近頃すぐ泣くようになったなぁ、とは思っていたのだが(老人かよ)自分で驚いた。さらに意外だったのが、なぜか快感だったこと。これはおかしいぞと思い、続けて‘JAL123便事故’遺族のドキュメンタリーを見てみたらまたドバーッと。ちょっと前に映画の宣伝文句で‘泣ける’というのが流行ったが、今回でなんとなく分かった。映画のTVCMで‘泣けます〜’と嬉しそうに語っている人たちを見て私は‘バカじゃねーのか’と呆れていたのだが、自分が同じ境遇になるにおよび考えてみた。‘こんなに不幸でかわいそうな人たちの話に触れて感情を激しく揺り動かされる純粋で美しい私がいる’、と知ることが快感なのではないかと。オイラだけかしら。
2月28日(土)
以前からしばしば125RPMくらいのスピードで回ることもあるくらいサービス精神旺盛なヤツだったのだが、ついに臨終を迎えた。自室のレコード・プレーヤーが。冬場に回転数がうまく合わないのはしょうがないかな、と数年来思っていたのだが(一切暖房を使わないためたいてい10℃以下)、ついにまったく制御不能、さらに片チャンネルからは音が出なくなった。30余年我が家に鎮座してきたONKYOのプレーヤーだった。アーメン。そこで昨日、近所の‘硬切’へ中古品を見に出かけた。すっかりHV店頭のプレーヤーに慣れてしまったので、以前から目をつけていた同型の中古品を買うためだ。新品だと5万円前後なのだが、2万円代でいいの欲しいなぁ、と棚を見ると\4000のものが。\8000の当初価格から大きくダウンされている。一部装備に不備があるものの(アームレストが折れていたりカバーが無かったり)、機能には不足無いようだ。針を付ければOKらしい。‘新品を買う’という普通の行為がまったく思考から欠落していることで時折‘ゼニ失い’になることもあるが、今回はいい買い物をしたと思っている。
2月23日(月)
今年最初の渡米の航空券の予約をしたのだがいろいろまた不便さが出てきた。4月1日以降の発券については悪名高いサー・チャージが引き下げられるようだが、それまでは5万円前後もの余計な出費がある。さらにタイム・テーブルの変更があったようで、今まで夕方には到着していたのだがなんと今回は夜10時過ぎというムチャな時間に。それも乗り継ぎ時間7時間半とか。今回のこの件に限らず、なんでもかんでも自分に不都合なように物事は動いていくような気がする。実際のところ、よりよく快適に変更されたものには気付かないからそのように考えちゃうんだろうけど。とにかくムリしてそう捉えるようにしているのよ。
2月21日(土)
花粉症も風邪っぴきも無く幸い健康な私だが、この時期の雰囲気はキラいだ。1月後半くらいから日が長くなるのが実感され、世の中が花粉だ、プロ野球だと騒ぎ出すと春が近い。イコール夏が近いということ。そう考えるだけでイヤになる。10月後半くらいの‘あぁ夏が去った’という感じが一番好きだ。だいたい、これは真剣に言うのだが、ここ数日の最高温度10℃弱という日々がもっとも快適だと思うのだがどうだろうか。啓蟄なんてやって来るな!
2月16日(月)
山田ともども近頃貪欲にいろいろ聴いている。おかげでいろいろオススメねたも見つかり、山田などはJAN AKKERMANとかTANGERINE DREAMとかBO HANSSONとかを売りまくっている(エラい!)。そのあたりはひと括りに‘環境音楽’としてしまえば苦も無く聴ける。着実に私達の音楽のフィールドは広がってきている。まだまだ楽しみなレコード店経営です。‘環境音楽’ばっかりになったりしてね。
2月15日(日)
一晩考えたのだが、やっぱりもっとすごい野望があった。スヌーカー・テーブルが欲しい!どうだ、車1台分相当のぜいたくじゃないか?

円高を 実感したいが 円が無い 〜 サラリーマン川柳2009
2月14日(土)
ある商売で成功した人の話をラジオで聞いたのだが、80年代に‘どうせやるならフェラーリに乗りたい’と始めた仕事で、現在ではフェラーリ2台にマセラッティ2台を所有しているという。エラい。彼は商売人だ。私は物欲はレコード以外には一切向かない。ただひとつの願いは、買い付けに行って50Pとか$1理想と違うから悩んで購入を止める、ということが無いように、ということだけ。オレもなんか壮大な目標を持とうかなぁ。BILLY NICHOLS買うぞとか『PPM』のGOLD PARLOPHONEステレオを買うぞとか。
2月7日(土)
NORTHWEST航空から毎年年末になるとカレンダーを送ってくるのだがいつもじつに写真のきれいな、趣向を凝らしてお金のかかったもので部屋に彩を加えてくれていた。ところが昨年末送られてきた2009年版はサイズも小さくなり白黒印刷。がっかりか、と思わせおいて、使用されている写真は創業当時から40年代、50年代にかけて撮影された旅客機、搭乗客、空港等の古い写真ばかりを使用して、今までの美しい夜景とか美女なんかに比べてずっとよし。経費節減とクオリティを見事に両立させたナイス・アイテムだ、と報告しておく。
2月2日(月)
何日か前に自宅のすぐ斜め前に住んでいたあるおじいさんが亡くなった。91才だったそうだが、いつも庭掃除を丹念になさっていた姿が思い出される。じつはその方は60年代から80年代にかけて参議院議員を3期務められたというたいへん偉い方。社会党のどちらかというと左派に属する方だったそうだが、じつに普通な、昨今にあっては質素と言っても良い築40年は超えたであろうご自宅は、そんな国政の中央で活躍されていた方のお住まいだとはとても想像できない。奥様はつい先週もお庭仕事をなさっているのを見かけたのでまだお元気そうなのは何より。当然のことなのだが、お年よりはどんどん死んでゆく。彼らにたくわえられた知識、経験、伝統、格式も日本からどんどん失われてゆく。残された我々は先人のいくばくほどの存在価値があるのだろうか。
1月31日(土)
今年は50周年だそうでたいへんな盛り上がりである。MOTOWNですがな。そしてそれは本国アメリカよりイギリス人が舞い上がっちゃってるんだな。私が愛聴している‘BBC RADIO 2’もMOTOWNトリビュートの特別ページを作って毎週ナイス・プログラムを提供してくれているので、私も毎日ノリノリ。ぼやぼやしているとどんどん聴けなくなってしまうので、アップデートされるたびに聴くことをオススメする。65年のMOTOWN REVIEW英ツアーの音源とか、貴重なインタビューなんかもばんばん流されている。で、そこには‘TOP 30 ALL TIME BIGGEST SELLING MOTOWN SINGLES IN THE UK’などというチャートが出ているのだが、ガーン。こんなことになっているのか。枚数換算なら仕方ないのだろうか…。
1月26日(月)
‘これって今こんな値段するんですか〜!?’とヤマトのお兄さん(古代進ではない)は壁レコを見て感心する。続けて‘あ、でも状態が問題なんですよね’とも。一応私は‘何処の国の産か、いつ作られたものかも価格決定の大きな要因ですよ。いい値段が付くのは本当にごく一部です。’と要点を簡潔に伝えたら‘そうですよねー’と。そのジャケを使用していればすべてが同じというのが世の中の普通の意見だと思う。状態に言及しただけでも彼は素質あり、だ。
1月24日(土)
いつも思う。睡眠ってムダなのではないかと。睡眠さえ必要なければ部屋の掃除をしてあの本を読んでこのレコードを聴いて、あそこへ出かけてあれをして…などもっと毎日楽しく過ごせるのではないかと。まぁでも実際のところ、毎日何時間も余計な時間ができたらダラダラする時間がその分増えるだけだってわかっているのさ。この世の中で何が一番嫌いかって、起きること(‘早起き’ではない)。今みたいな寒い時期に布団に入って本を読み、ほんわか眠くなってきて電灯を消して‘さあ眠るぞ’というあの瞬間こそ最高。どんなに昼間が辛くても、夜になれば寝られる、と思うことは心の平安。でもいつも思う。睡眠ってムダなのではないかと…。
1月21日(水)
気が付くと本が増えている。本はレコードと違って形、大きさがまちまちなため収納に困る。そこで邪魔だとばかり段ボールに詰めて押入れに入れたりすると不便。やっぱりいつでも取り出せるところにないと困る。そこで整理下手な私の部屋は荒れる。ついでに愚妻が勝手に家庭で不要なものを放置してゆく(オレの部屋はゴミ箱扱い…)。考えてみると、高校時代くらいまではいつも自室は整理整頓されていたと思う。所有物が増えるにしたがって大学時代後半くらいから荒れてきたと思う。憧れるのは物が無くて掃除も簡単な部屋。はい分かっています、それはもう一生ムリだって。
1月19日(月)
何回も書くことなのだが、本当に不思議なことにこの時期になると大学時代の試験の夢を見る。いまどきはちょうど後期試験の時期。今日の悪夢も典型的なもの。
@まったく授業に出ておらずどんな問題が出るのかも分からないが、とにかく‘D’評価(落第点)をもらうと留年確実なテストがある。
Aそういう日に限って交通に乱れが生じ遅刻しそう。
なんていう状態で‘うわあああ〜’という夢はじつに気持ち悪く寝起きも悪い。実際の状況を考えてみるとそんなに進退がかかったような教科は無かったし、そもそも授業に出ていなかった教科は全体の単位数を気にしつつ‘切る’(テストを受けないこと。‘D’は付かず‘-’評価になる。履修していなかったのと同じ。)ことにしていた。なにより‘何を学ぶか’より‘どれだけ楽勝か’とか‘頼りになる友人はいるか’、を基準に履修科目を選んでいたから試験に苦労した記憶は無い(怠け者っス)。じっさいには受験の方が人並みにプレッシャーがかかっていたはずだがその夢は見たことが無い。なんだろうこのトラウマは。また7月になるとこの悪夢は繰り返されるのか。
1月17日(土)
一昨日の夕食後7時過ぎ、電話を取ると早口の女性だった。‘フジテレビ報道2001の委託を受けて電話アンケートを実施しています’と、現政権の政策について5つばかりの質問を矢のように浴びせ怒涛のごとく去っていった。遠慮も無けりゃ感謝の念もありゃしない。20〜40代の男性のサンプルが不足している、と言っていた。あたりまえじゃん。普通のサラリーマンじゃそんな時間に家にいやしないよ。
1月12日(月)
毎年この時期に疑問に思うのだが、日本人ってそんなに初詣に出かけているのか?先日発表された数字によると、今年の三が日に詣でた人は総計9900万人にも及ぶという。じつに日本に存在している人の90%が、たった3日の間に出かけた計算になる。私が出かけていないのはここ数年来の習慣から当然として、回りにも‘行ってきました’という人が誰一人いないのだが(ヤマダは日記で‘正月明けの平日に行った’と書いていたね)。どう考えても水増しだろう。そうすると、警察やらマスコミやらにとって‘初詣の人数は多ければ好都合だ’ということになる。どういう理由、利権があるのだろう。毎年疑問に思う。
1月10日(土)
これはまったくの偶然なのだが、私の卒業した中学、高校、そして受験して進んだ大学まで、さらに今の自宅のすぐ横の小学校の校歌までがすべて信時潔という作曲家によるもの。あまり馴染みの無い名前かもしれないが、「海ゆかば」を書いたのも彼だと言えば分かっていただけるか(よけい分からない?)。彼は昭和の大作曲家であるから、戦後の新学制とともに校歌作成ブーム(たぶん)がやってきたことにドッカリと乗っかったのだろうが、勝手に彼には縁を感じている。そして私のもっとも愛する校歌には石本美由起先生が噛んでいることを知った。これは誇りに思っていいだろう。
1月5日(月)
寒い。パソコン作業を2時間もしていると、窓際では寒い。そんなときはLP棚の整理。破れている袋は無いか、順番は崩れていないか、隠し在庫(?)から入れられるものは無いか、等々動き回って重いものを運んでいると汗が出てくる。冬はいいよね、自分しだいで暖かくなるから。
1月3日(土)
中東の城塞都市のバザールにありそうな見た目のそのレコード屋を訪れると、店のオヤジは‘もう閉店するんだ。安くするからたくさん持っていってくれ。’という。通りから2段ほど下ったその店内に足を踏み入れ、米シングル盤ばかり並べてあるその在庫を見てゆく。出るわ出るわ、見たことのないピクチャー・スリーブ付き、それもすべてデッド・ストックのパリパリ。もちろん遠慮なくどんどん積んでゆく…。
ハッ。目が覚めた。今年の初夢もまたレコードか…。そんなレコード屋にめぐり合えますように。ユーロが安くなりますように。そして、お客様と今年も楽しい時間を過ごせますように。

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